Presto Opera には無い Vivaldi の機能に注目してみる

ITmediaにOperaが中国の企業コンソーシアムに買収されたニュースが掲載され、にわかにOperaからの乗り換えの機運が高まっている(ように感じる)。

自然Opera創業者であるテッツナー氏が現在率いるVivaldiも注目されており、twitter検索などではPresto時代のOperaっぽいと評価されているようだ。

確かに「まずはPresto Operaの機能を実装」「Operaユーザの乗り換えを視野に」といった記事もあったのでVivaldiを「BlinkエンジンのOpera」とするのは間違いではないだろうが、VivaldiにはPresto Operaには無かった機能もちゃんと盛り込まれているので、それを取り上げてみたいと思う。

 

 

 

ページカラーをインターフェイスに

Vivaldiは表示されるページの特徴的な色を判断し、インターフェイスに反映させることが出来る。

 

 

 

タブでページを把握するための要素といえばタイトル、favicon、タブサムネイルだったのがページカラーが加わることになる。

個人的にはタブを切り替えるときは

「目的のタブを探して移動」

ではなく

「タブを切り替えていって目的のタブを開いたら止まる」

という使い方をしているので、ページを判別する材料が増えるのは歓迎なのだが、このページカラーはアクティブタブにしか付かない。

もちろんバックグラウンドのタブに付けるとアクティブタブが判別しにくくなるし、何より糞ケバいタブバーが出来上がるのは間違いないのでバックグラウンドのタブへの配色は実装されないだろう。

 

しかしアクティブタブだけではタブの判別効果はどれだけあるのだろうか……ぶっちゃけ現状の評価は「賑やかし」程度である。

いや、賑やかなのは良いことですけどね。

 

 

 

 

 

左(右)端のタブへ移動

 

最近ショートカットに加わった機能。

 

 

「タブを切り替えていって目的のタブを開いたら止まる」使い方をしていると、アクティブなタブの位置と目的のタブのざっくりとした位置関係を把握しておくことが重要なのだが、数十枚タブを開いた状況なら一足飛びに移動できるこの機能は便利かもしれない。

だけどいくらタブを多く開く傾向にあるとはいっても普通は20枚以下なので、そうお世話になることは無い気もする。

 

 

 

クイックコマンドから開いているタブを検索

 

クイックコマンドからはブックマーク、履歴、機能実行に加えて開いているタブのタイトルとURLをインクリメンタルに検索して、単一のページに絞り込めたときはシームレスに移動する……

って移動しない!(Snapshot 1.3.501.6 )

 

 

おかしいなぁ勘違いだったのだろうか。それとも最近変わったのか。

クイックコマンドはブックマークや履歴も検索対象なので上記の仕様はおかしいといえばおかしい。

でも単一ページに絞り込めればEnter一回省けるのが攻めてる印象だったのでここは是非「タブ検索ダイアログ」を分離して復活してもらいたい。

まあ復活したところで基本トラックパッド(右手)+キーボード(左手)派なんで使わないのだけど。

 

 

 

 

関連タブでのタブ管理

 

 

リンクから開かれたタブを「子タブ」として階層的に関連付けて記憶する機能。

「子タブ」から開かれたタブは「孫タブ」になり、どんどん階層が深くなっていく。

 

新しいタブの位置を関連タブの後に設定すれば、今開いているタブの子タブの右端に新たに開いたタブが追加されるし、閉じたときの挙動で関連タブを基準にすれば今開いているタブの階層内での移動が優先される。

 

つまり

[1親][2子][3子]

の状態でタブを閉じたとき左をアクティブにする設定でも、二番目の子タブを閉じたときは右の三番目の子タブがアクティブになる。

 

ただこういったタブの挙動は結局は好みでしか無いと思う。

どの挙動が最も効率的かは状況によって変わるだろうし、タブの数が膨大になれば管理しきれないだろう。

 

ウィンドウをタブグループとみなして用途ごとに分ける、何度も見返すタブはスタックでまとめるなど、自分で整理するほうが有効だ。

 

 

 

まとめ

 

「VivaldiはOperaの代わりみたいな扱いだけどもうちょっと独自色あるだろ」と思って調べはじめたのだが、思ったより微妙な内容になってしまった。

もちろんVivaldiは現状でも非常に便利なブラウザだし、自分も愛用している。

乗り換え候補としても十分な能力を備えているのでぜひ使ってもらいたい。

ただ想像以上に「VivaldiはBlinkのOpera」だったのだ。

 

 

Presto Operaとの差別化はメーラや同期機能やモバイル版のリリースなどが済んで落ち着いてから期待することにしよう。

 

かゆい所に手が届くパワーユーザー向けブラウザとして正常進化するのか、

Blink Operaのように周辺サービスに力を入れるのか、

Presto Operaのように独創的という名の迷走を始めるのか

 

生暖かく見守って行きたいと思う。

  

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もう一つの放課後のプレアデス 放課後のプレアデス 感想その2 (9話-12話)

放課後のプレアデスは第8話までがコスプレ研究会の5人の話だとすると、9話以降はみなとと会長、そしてすばるの話になります。

可能性の塊であるすばるたちと比べみなとには可能性は残されておらず、そのせいか話のテンションがそれまでと違ってしまったように感じられます。

 

また前エントリで言及した映像面、そして完成度の点でも9話以降は8話までに一歩譲っていると思います。

12話まで見てからだと納得できる要素も、初見では唐突に感じられるものがいくつかありました。

それは9話のみなととすばるの涙であり、幼少期の出会いそのものでもあります。

もちろんストーリー上の辻褄はあっているのですが、逆にストーリーからの要請でそうなっているのではないかという感じが否めなかったのです。

 

10話でまたすばる自身の問題に振り戻してきて、「おお!」と思ったのですが、11話ではあおいたちは自分たちのかけら集めが目的化している問題に向き合っているのに、すばるひとりみなとの方向を向いているようなちぐはぐさが感じられました。

そして幼少期に交換した星も……運命の再会ではなく、偶然の出会いからみなとが救われるストーリーでも良かったのでは……?

 

 

 

果ての無い世界

 

それを差し引いても、最終話を迎えて振り返るラスト4話は8話までとはまた違う感動を呼び起こすものでした。

 

8話までで私が放課後のプレアデスに一番心を揺さぶられたのは、誰かの想いが伝わるとき、その想いが報われたように感じられたところです。

 

4話でのひかるが愛情を受け止めるように、7、8話ですばるとあおい、ななこが大切な気持ちを思い出すように、それは既にあったものに気付く形で伝わります。

そしてそれがストーリー上の解決に結びつくので、想いが無駄にならないなんて優しい世界なのだろうと思いました。

 

でもみなとに対してはそんな背中を押すような解決法は役に立ちません。

すばるはみなとの気持ちは分からないと言います。

簡単に気持ちが分かるなんて言えないような厳しい状況の人に、それでも前を向いてほしいと働きかけるのが12話のすばるで、それは8話までのやり方とは全く違います。

 

なぜ最終話みなとは目覚めないのか、なぜみなととのエピソードを盛り込んだのか。

正直説得力のある言葉を見つけられていません。(個人的には納得しています)

 

しかしみなとの存在のおかげですごく作品としてのバランスがとれたように感じます。

 

私は8話までの展開も大好きなのですが、その一方で綺麗にまとまり過ぎているとも感じていました。

しかしみなとのエピソードがあることで、この世界は優しいだけじゃない、一人の意思だけではどうしようもないものもあると描かれています。

それはすばるが恐怖した40億年という時の長さの途方も無さ、ひょっとすると銀河デートの際中に感じた宇宙の果ての無さも同じなのかもしれません。

 

私の中ではみなとの目覚めもすばるとの再会も確定されていません。

ただ希望と可能性がそこにある。

希望がもたらされても絶望が無くなるわけではない宙ぶらりんの世界。

だからこそ、クールの折り返し6話ラストで「きっとまた、会えるよね」と言ったすばるが最後の最後に持ってきた言葉、「待っててね」が力強く感じられる。

それが私の感じ方です。

 

 

愛の告白

 

私が幸せにする、今する、キスする。

肉食系女子とか言われてますけど、すばるの精一杯の台詞だと思います。

それにしてもすばるはみなとの結末にどこまで自覚的だったのでしょうか。

 

自覚的だとしたら、根拠も何もないのに、忘れてしまうのに可能な限り強い言葉を吐かなければならないすばるの心中やいかに。

 

そして自分のためにそう言わざるを得ないすばるを見るみなとも。

 

 

 

優しさに包まれたなら

 

それでもやっぱり放課後のプレアデスはどこまでも優しい作品なんです。

それがもう画面の端々から伝わってくるのです。

 

最終話5人が別れる寸前、あおいがみなとに声をかけます。

そう、すばると会長だけじゃないんです。4人の前にもちゃんとみなとは居た。

 

元の世界でのあおいとの再会も、すばるが声をかける形じゃなくてよかった。

二人が話を切り出すのが被ってしまうのはギャグなんかじゃない。

元の世界のあおいだってすばると話したかった。

魔法使いになった5人が特別なんじゃない、みんな変わっていける。

 

最後のモノローグで語られた星空のように、全てを静かに包み込む優しさが、この作品を特別なものにしていると思います。

 

作品を表現するのに尊いってよく使いますけど、私にとって放課後のプレアデスはもっとストレートに「愛おしい」と言うのがぴったりです。

こんなに一つに作品にのめり込んだのは十数年ぶり、こんなに感情的に文章を書いたのは初めてです。

 

作品の感動の十分の一も伝わらないとはおもいますが、放課後のプレアデスを楽しむ一助になれば幸いです。

あまりにも優しい世界 放課後のプレアデス 感想その1 (1話-8話)

まだ何者でもない少女たちの成長を、SFに乗せてお伽話のように純粋に、繊細に描いた「放課後のプレアデス」

 

ウェブ配信待ちだったので先日ようやく最終回を見ました。

ひとつの作品にこんなに感動したのは久しぶり、中盤からは一話ごとに「放課後のプレアデス美しい……尊い……」とつぶやくBotと化したりしましたが、それだけ心を掴むパワーがこの作品にはあると確信しています。

 

まだ頭の中は整理し切れていませんが、そのパワーを少しでも言語化できればと、とりあえず話数順に思ったことを全部書いていきたいと思います。

 

もちろんネタバレ全開で!

 

 

 

2話より 映像作品としての「放課後のプレアデス」

 

放課後のプレアデスの動画としての心地よさってあんまり言及されていない気がしますが、一番最初にこの作品に惹かれたのがそこだったので。

 

2話で二つのエンジンのかけらを捕まえようとするすばるとあおいが、かけらの上空から急降下するシーン、声を掛け合ってから星めぐりの歌のイントロが被って、お互いを見つめ合いながら繋いでいた手を離すあのワンカット!

理屈では説明できませんが、このカットだけでも見てるとゾクゾクします。(ニコ動で何度見したことやら)

 

2話はこれ以外にもぎこちなかった二人の距離が縮まっていく(物理的に)ところとか、さっきのカットから二手に分かれたすばるとあおいの背景がいつの間にか夕暮れから夜の星空に変わっていたりと、印象的なシーンがいくつもありました。

 

作品をあとから考察したりも楽しいですが、やっぱり見ているときに何かを感じさせてくれる方が好みです。

視聴継続を決定づけたのもこのシーンがあったからですね。

 

他にも映像としては4話のカメラがぐりぐり動く特訓シーン(会長がかけらを指し示すシーンと合わせてラピュタのオマージュなのだろうか)、月に向かうときの離れていく地球の美しいカット、5、7話での土星や太陽の描写、8話のスターボウや合体型ドライブシャフトの挙動など挙げれば切りがないのですが。

 

惜しむらくは9話以降、映像として引き込む力は弱くなってしまった点でしょうか。

製作的な息切れ?それとも今見返すと違うのかな。

 

 

 

4話より 個人回における距離感

 

放課後のプレアデスにおいては直接的な表現をあえて取らないところが結構あるのかなと。

 

みなとカウンセリング@温室での禅問答みたいなやりとりはもちろん、割とわかりやすいすばるとあおいの関係でも、距離を縮めるには思い出とかアイテムを介していて直接言葉を交わすわけではなかったりします。

 

紛うことなき傑作回である4話「ソの夢」8話「ななこ13」はそれが顕著に表れていて、

 

「ソの夢」はひかるの親子回なくせに親子の会話が一度もないんですね。

回想シーンですら無い。

決して親子の気持ちが離れてしまっているわけではないのですが、それを受け取るときの距離は地球と月の間384400kmというこの距離感。

 

そして結構すばるがひかるに絡むんですが、こいつらがまた会話をしないw

すばる「月はまだ分かってないことがたくs……」ひかる「どうしたのすばるん?」から始まって、

夢の中でのやりとりはもちろんひかるの頭のなかだけなので自問自答(実際は混線してたけど)、

その後もひかるはすばるの問いかけを先取りして返答したり、「聞きたくないの?お父さんの気持ち」に対して自分に言い聞かせるようにつぶやくだけだったり、この回はひかるの一人芝居と言っていいレベルです。

 

やっとひかるがすばるに声をかける場面、すばるの言葉もあって両親の曲を受け止めることができたひかるからすばるへの台詞、普通に感謝の台詞でもよさそうなものですが、そこは夢を共有したすばるにしか分からない「月、おいしかったね」なんですね。

 

8話のななこと会長の「ぽ・わ~むする」「ななこおめでとう」だってもっとはっきりした言葉に置き換えられそうなのですが、それらが会長を抱きしめるときのななこの表情と下手くそな字だけど一生懸命メッセージを書く会長によって伝えられるからこそ、その感情だけでなく関係性やパーソナリティも感じ取ることができるのです。

 

別に遠回しなのが良いというわけではなく、特にこの二話はストーリーが内省的でキャラクター自身の気付きに重点が置かれていたので、こういった表現がエピソードに深みを与えていたと思います。

 

 

7話より SFギミックとすばるとあおいの再会

 

魔法使いとして再会したすばるとあおいは、「それぞれ元の世界で相手から理由も告げられず置いて行かれた存在で、そのわだかまりを解消しようとも理由を持たないもの同士だから出来ない」というのは劇中で語られている通りです。

7話で「一緒に居たかっただけなのに」という二人が、この二人では解決できない悩みを抱えた形で再会するのはなかなか切ない設定です。

 

ただここに会長の言う5人が集められた理由を付け加えると、相手に理由も告げられず置いて行かれて、その後その理由を確認することもできていないすばるとあおいこそが、可能性の重ね合わせの中で最も何者でもないすばるとあおいということになります。

 

会長の言う「ダントツの一番を選んだ」が誤りでないならこの二人が選ばれたのは設定的に必然です。

つまり「置いて行かれた二人が出会った」ではなく、「置いて行かれた二人だから出会った」と。

 

変わりたいと願いながらも、離れ離れになることを望んでいた訳ではない二人が再会したのに、そこにはその二人では解決できない問題があることが必然とは。

私の中であおすばの切なさが三倍になった瞬間でした。

 

しかし解決できないわだかまりも、乗り越えることは出来ます。

7話では小学生時代一緒に探したキーホルダーが、自分の知っている「お互い」とは違う「お互い」の変わらない部分を思い出させてくれるアイテムとして登場します。

 

かけらを手に入れた後、平行世界の巡りあわせでお互いの手元に残った全く同じキーホルダーを見せ合う二人。

「私達二人とも、大切な友だちから宝物をもらったんだよ」という台詞は、「答えを持っていない」はずの二人の答え合わせに他なりません。

 

SFギミックから生まれた問題を同じギミックから生じたアイテムで拾い上げる、ストーリーとしても整合性としてもなんとも美しい展開。

しかもこのキーホルダーに関わったすばるとあおいは、いまここに居ない、「置いていった」方のすばるとあおいなのです。

「置いていった」すばるとあおいも「ここにいる」すばるとあおいと変わらない部分を持っているのです。

この全方位で救いにくるストーリー、最高かよ。

 

また7話は6話からの流れも秀逸で、6話ラストでみなととの別れが描かれるのですが、みなとは転校生として7話序盤でしれっと再登場しています。(厳密にいうと温室のみなととは別人の同一人物??)しかしどこか違う……かも?という感じで。

このあたりは再会したすばるとあおいの関係そのままという感じで、狂言回しとしてのみなとの面目躍如。

 

そして7話のラスト、相手の変わらないところを信じられるようになったすばるがみなとに声を掛け、みなともそれを受け入れます。

6話ラストシーンの「きっとまた、会えるよね」からの7話ラストの「また会えたね」

7話の展開を受け、6話ラストをも1話越しに受け取るラストシーンにもう陳腐ですが感動したとしか言いようがありませんでした。

 

実のところ放課後のプレアデスは第8話まで、本当にストーリーも映像も素晴らしく完成度が高くて毎週「傑作!」と思いつつ見ていたのですが、9話以降話の趣が変わってしまった印象があります。

もし8話までで見るのをやめていたら、また違った感想をこの作品に抱いたのだろうなと思いつつ、この文はここまでとします。

 

9話以降、そして全体の感想は次のエントリで。