まだ何者でもない少女たちの成長を、SFに乗せてお伽話のように純粋に、繊細に描いた「放課後のプレアデス」
ウェブ配信待ちだったので先日ようやく最終回を見ました。
ひとつの作品にこんなに感動したのは久しぶり、中盤からは一話ごとに「放課後のプレアデス美しい……尊い……」とつぶやくBotと化したりしましたが、それだけ心を掴むパワーがこの作品にはあると確信しています。
まだ頭の中は整理し切れていませんが、そのパワーを少しでも言語化できればと、とりあえず話数順に思ったことを全部書いていきたいと思います。
もちろんネタバレ全開で!
2話より 映像作品としての「放課後のプレアデス」
放課後のプレアデスの動画としての心地よさってあんまり言及されていない気がしますが、一番最初にこの作品に惹かれたのがそこだったので。
2話で二つのエンジンのかけらを捕まえようとするすばるとあおいが、かけらの上空から急降下するシーン、声を掛け合ってから星めぐりの歌のイントロが被って、お互いを見つめ合いながら繋いでいた手を離すあのワンカット!
理屈では説明できませんが、このカットだけでも見てるとゾクゾクします。(ニコ動で何度見したことやら)
2話はこれ以外にもぎこちなかった二人の距離が縮まっていく(物理的に)ところとか、さっきのカットから二手に分かれたすばるとあおいの背景がいつの間にか夕暮れから夜の星空に変わっていたりと、印象的なシーンがいくつもありました。
作品をあとから考察したりも楽しいですが、やっぱり見ているときに何かを感じさせてくれる方が好みです。
視聴継続を決定づけたのもこのシーンがあったからですね。
他にも映像としては4話のカメラがぐりぐり動く特訓シーン(会長がかけらを指し示すシーンと合わせてラピュタのオマージュなのだろうか)、月に向かうときの離れていく地球の美しいカット、5、7話での土星や太陽の描写、8話のスターボウや合体型ドライブシャフトの挙動など挙げれば切りがないのですが。
惜しむらくは9話以降、映像として引き込む力は弱くなってしまった点でしょうか。
製作的な息切れ?それとも今見返すと違うのかな。
4話より 個人回における距離感
放課後のプレアデスにおいては直接的な表現をあえて取らないところが結構あるのかなと。
みなとカウンセリング@温室での禅問答みたいなやりとりはもちろん、割とわかりやすいすばるとあおいの関係でも、距離を縮めるには思い出とかアイテムを介していて直接言葉を交わすわけではなかったりします。
紛うことなき傑作回である4話「ソの夢」8話「ななこ13」はそれが顕著に表れていて、
「ソの夢」はひかるの親子回なくせに親子の会話が一度もないんですね。
回想シーンですら無い。
決して親子の気持ちが離れてしまっているわけではないのですが、それを受け取るときの距離は地球と月の間384400kmというこの距離感。
そして結構すばるがひかるに絡むんですが、こいつらがまた会話をしないw
すばる「月はまだ分かってないことがたくs……」ひかる「どうしたのすばるん?」から始まって、
夢の中でのやりとりはもちろんひかるの頭のなかだけなので自問自答(実際は混線してたけど)、
その後もひかるはすばるの問いかけを先取りして返答したり、「聞きたくないの?お父さんの気持ち」に対して自分に言い聞かせるようにつぶやくだけだったり、この回はひかるの一人芝居と言っていいレベルです。
やっとひかるがすばるに声をかける場面、すばるの言葉もあって両親の曲を受け止めることができたひかるからすばるへの台詞、普通に感謝の台詞でもよさそうなものですが、そこは夢を共有したすばるにしか分からない「月、おいしかったね」なんですね。
8話のななこと会長の「ぽ・わ~むする」「ななこおめでとう」だってもっとはっきりした言葉に置き換えられそうなのですが、それらが会長を抱きしめるときのななこの表情と下手くそな字だけど一生懸命メッセージを書く会長によって伝えられるからこそ、その感情だけでなく関係性やパーソナリティも感じ取ることができるのです。
別に遠回しなのが良いというわけではなく、特にこの二話はストーリーが内省的でキャラクター自身の気付きに重点が置かれていたので、こういった表現がエピソードに深みを与えていたと思います。
7話より SFギミックとすばるとあおいの再会
魔法使いとして再会したすばるとあおいは、「それぞれ元の世界で相手から理由も告げられず置いて行かれた存在で、そのわだかまりを解消しようとも理由を持たないもの同士だから出来ない」というのは劇中で語られている通りです。
7話で「一緒に居たかっただけなのに」という二人が、この二人では解決できない悩みを抱えた形で再会するのはなかなか切ない設定です。
ただここに会長の言う5人が集められた理由を付け加えると、相手に理由も告げられず置いて行かれて、その後その理由を確認することもできていないすばるとあおいこそが、可能性の重ね合わせの中で最も何者でもないすばるとあおいということになります。
会長の言う「ダントツの一番を選んだ」が誤りでないならこの二人が選ばれたのは設定的に必然です。
つまり「置いて行かれた二人が出会った」ではなく、「置いて行かれた二人だから出会った」と。
変わりたいと願いながらも、離れ離れになることを望んでいた訳ではない二人が再会したのに、そこにはその二人では解決できない問題があることが必然とは。
私の中であおすばの切なさが三倍になった瞬間でした。
しかし解決できないわだかまりも、乗り越えることは出来ます。
7話では小学生時代一緒に探したキーホルダーが、自分の知っている「お互い」とは違う「お互い」の変わらない部分を思い出させてくれるアイテムとして登場します。
かけらを手に入れた後、平行世界の巡りあわせでお互いの手元に残った全く同じキーホルダーを見せ合う二人。
「私達二人とも、大切な友だちから宝物をもらったんだよ」という台詞は、「答えを持っていない」はずの二人の答え合わせに他なりません。
SFギミックから生まれた問題を同じギミックから生じたアイテムで拾い上げる、ストーリーとしても整合性としてもなんとも美しい展開。
しかもこのキーホルダーに関わったすばるとあおいは、いまここに居ない、「置いていった」方のすばるとあおいなのです。
「置いていった」すばるとあおいも「ここにいる」すばるとあおいと変わらない部分を持っているのです。
この全方位で救いにくるストーリー、最高かよ。
また7話は6話からの流れも秀逸で、6話ラストでみなととの別れが描かれるのですが、みなとは転校生として7話序盤でしれっと再登場しています。(厳密にいうと温室のみなととは別人の同一人物??)しかしどこか違う……かも?という感じで。
このあたりは再会したすばるとあおいの関係そのままという感じで、狂言回しとしてのみなとの面目躍如。
そして7話のラスト、相手の変わらないところを信じられるようになったすばるがみなとに声を掛け、みなともそれを受け入れます。
6話ラストシーンの「きっとまた、会えるよね」からの7話ラストの「また会えたね」
7話の展開を受け、6話ラストをも1話越しに受け取るラストシーンにもう陳腐ですが感動したとしか言いようがありませんでした。
実のところ放課後のプレアデスは第8話まで、本当にストーリーも映像も素晴らしく完成度が高くて毎週「傑作!」と思いつつ見ていたのですが、9話以降話の趣が変わってしまった印象があります。
もし8話までで見るのをやめていたら、また違った感想をこの作品に抱いたのだろうなと思いつつ、この文はここまでとします。
9話以降、そして全体の感想は次のエントリで。