放課後のプレアデスは第8話までがコスプレ研究会の5人の話だとすると、9話以降はみなとと会長、そしてすばるの話になります。
可能性の塊であるすばるたちと比べみなとには可能性は残されておらず、そのせいか話のテンションがそれまでと違ってしまったように感じられます。
また前エントリで言及した映像面、そして完成度の点でも9話以降は8話までに一歩譲っていると思います。
12話まで見てからだと納得できる要素も、初見では唐突に感じられるものがいくつかありました。
それは9話のみなととすばるの涙であり、幼少期の出会いそのものでもあります。
もちろんストーリー上の辻褄はあっているのですが、逆にストーリーからの要請でそうなっているのではないかという感じが否めなかったのです。
10話でまたすばる自身の問題に振り戻してきて、「おお!」と思ったのですが、11話ではあおいたちは自分たちのかけら集めが目的化している問題に向き合っているのに、すばるひとりみなとの方向を向いているようなちぐはぐさが感じられました。
そして幼少期に交換した星も……運命の再会ではなく、偶然の出会いからみなとが救われるストーリーでも良かったのでは……?
果ての無い世界
それを差し引いても、最終話を迎えて振り返るラスト4話は8話までとはまた違う感動を呼び起こすものでした。
8話までで私が放課後のプレアデスに一番心を揺さぶられたのは、誰かの想いが伝わるとき、その想いが報われたように感じられたところです。
4話でのひかるが愛情を受け止めるように、7、8話ですばるとあおい、ななこが大切な気持ちを思い出すように、それは既にあったものに気付く形で伝わります。
そしてそれがストーリー上の解決に結びつくので、想いが無駄にならないなんて優しい世界なのだろうと思いました。
でもみなとに対してはそんな背中を押すような解決法は役に立ちません。
すばるはみなとの気持ちは分からないと言います。
簡単に気持ちが分かるなんて言えないような厳しい状況の人に、それでも前を向いてほしいと働きかけるのが12話のすばるで、それは8話までのやり方とは全く違います。
なぜ最終話みなとは目覚めないのか、なぜみなととのエピソードを盛り込んだのか。
正直説得力のある言葉を見つけられていません。(個人的には納得しています)
しかしみなとの存在のおかげですごく作品としてのバランスがとれたように感じます。
私は8話までの展開も大好きなのですが、その一方で綺麗にまとまり過ぎているとも感じていました。
しかしみなとのエピソードがあることで、この世界は優しいだけじゃない、一人の意思だけではどうしようもないものもあると描かれています。
それはすばるが恐怖した40億年という時の長さの途方も無さ、ひょっとすると銀河デートの際中に感じた宇宙の果ての無さも同じなのかもしれません。
私の中ではみなとの目覚めもすばるとの再会も確定されていません。
ただ希望と可能性がそこにある。
希望がもたらされても絶望が無くなるわけではない宙ぶらりんの世界。
だからこそ、クールの折り返し6話ラストで「きっとまた、会えるよね」と言ったすばるが最後の最後に持ってきた言葉、「待っててね」が力強く感じられる。
それが私の感じ方です。
愛の告白
私が幸せにする、今する、キスする。
肉食系女子とか言われてますけど、すばるの精一杯の台詞だと思います。
それにしてもすばるはみなとの結末にどこまで自覚的だったのでしょうか。
自覚的だとしたら、根拠も何もないのに、忘れてしまうのに可能な限り強い言葉を吐かなければならないすばるの心中やいかに。
そして自分のためにそう言わざるを得ないすばるを見るみなとも。
優しさに包まれたなら
それでもやっぱり放課後のプレアデスはどこまでも優しい作品なんです。
それがもう画面の端々から伝わってくるのです。
最終話5人が別れる寸前、あおいがみなとに声をかけます。
そう、すばると会長だけじゃないんです。4人の前にもちゃんとみなとは居た。
元の世界でのあおいとの再会も、すばるが声をかける形じゃなくてよかった。
二人が話を切り出すのが被ってしまうのはギャグなんかじゃない。
元の世界のあおいだってすばると話したかった。
魔法使いになった5人が特別なんじゃない、みんな変わっていける。
最後のモノローグで語られた星空のように、全てを静かに包み込む優しさが、この作品を特別なものにしていると思います。
作品を表現するのに尊いってよく使いますけど、私にとって放課後のプレアデスはもっとストレートに「愛おしい」と言うのがぴったりです。
こんなに一つに作品にのめり込んだのは十数年ぶり、こんなに感情的に文章を書いたのは初めてです。
作品の感動の十分の一も伝わらないとはおもいますが、放課後のプレアデスを楽しむ一助になれば幸いです。